村上龍「最後の家族」

幻冬舎文庫 村上龍「最後の家族」 表紙_[0]

【メモ】

悲しい感情を自分の中で開放させて、誰はばかることなく思い切り泣いたら、少しは気分がすっきりするでしょう。村上龍の本を読んでいると、胸が締めつけられるような、悲しいような、切ないような、そんな気持ちになることがあります。でも、そんな気持ちにさせられるのと同時に、心の中で何かが動いた分、読んだあとで、自分の心がすっきりと軽くなったようになっていることに気が付かされることもあります。

人間や社会の中に無数に存在するネガティブなもの、不条理なものを、正面から見据えるというのは中々難しいものです。

僕のような弱い人間は、すぐに逃げ出して、そういったものから目をそむけてしまう。

でも、そういったものを正面からしっかりと見据えることが出来るからこそ、同時にこの社会が持っている素晴らしいものをみることもできるのだろうな、と思うわけです。

村上龍は、文章を通して僕に「強さ」を貸し与えてくれます。作家としての彼の「強さ」を借りた「弱い僕」は、自分のリアルな目では見ることができないものを彼の文章を通して見て、いっとき感情を開放させ、何かを感じることができます。

万人にあう文章なのかどうかは別として、少なくとも僕にとっては読む価値のある本でした。

 

【本文書き出し】

”序章 直径十センチの希望

内山秀樹は、自室の窓を被う黒い紙に直径十センチほどの丸い穴を開けた。コンパスを使って円を描き、カッターナイフでえぐり取った。その穴は、ちょうどカメラの望遠レンズの大きさだったが、昔買ったカメラを手にする気になったわけではなかった。

引きこもりを始めてから一年半が経とうとしている。外出するのが苦痛になって、窓に黒いケント紙を貼った。雨戸が無いのでカーテンだけでは外光が洩れる。光が部屋の中に差し込むのが我慢ならなかった。黒のケント紙が少しずつ湿気で剥がれてくると、上から修復した。今では、黒い紙は何重にも自分と外を遮断している。

外の音も聞きたくなかった。特に下の道を通る人の話し声や、挨拶を聞くのもいやだった。外側に大勢の人間たちがいて、会話や仕事や恋愛をしている。窓に黒いケント紙を貼っても、そういう現実を完全に遮断できるわけではない。そんなことはよくわかっていた。だが自分以外の人々は、逃げずに現実を生きていて、いろいろな場所へ出かけ、さまざまな他人と出会いながら人生を楽しんでいるのだ。そういったごく当たり前の生活を送る人間たちの声を聞きたくなかった。

インターネットの引きこもりサイトの掲示板では、五年とか十年とか、秀樹よりもはるかに長い期間引きこもりを続ける人の書き込みを見ることができる。みんな他人を恐がっている。自分一人ではないと思って秀樹は少し安心できる。秀樹と同じように窓外の他人の話し声を聞いたり、姿を見るのがいやだという人も多かった。ただ彼らの書き込みを見て不安になるのは、他の人間の匂いのようなものを避け続けると、生の人間をたとえば映画とか写真とかで見るのも恐くなってくるらしい。ある人は、映画とかテレビではアニメしか見ることができないし、雑誌でも漫画しか読めなくなったと書いていた。生の人間が写っているページはあらかじめ親に切り取って捨ててもらうらしい。

まだ引きこもって一年半だ、と秀樹は自分に言い聞かせ、安心しようとする。まだ二十一歳だし、インターネットの引きこもりのページに登場する三十歳とか四十歳の引きこもりに対しては、優越感のようなものを感じることがある。でもおそらくあっという間なのだろうと思って恐くなる。引きこもって半年くらいは、親と口論したり、アルバイト情報のサイトにアクセスしたり、古い知り合いにメールを出したりして、それなりに時間が過ぎていくのを感じることができた。安定剤を飲み始めたころから、体がだるくなり、頭がぼーっとして、時間の経過が不確かになってきた。薬のせいなのか、昼夜逆転の生活のためか、からだの反応が鈍くなって、その後の一年は、夢の中にいるような感じのままあっという間に過ぎてしまった。

夕方に目を覚ますと、秀樹はまずパソコンを立ち上げて、ネットにつなぎ、メールをチェックする。届いているのはいくつかのメールマガジンだけだ。誰からもメールなんか来るわけがない。母親経由で、精神科医に言われた。何でもいいから自分で小さな目標を作って、それを達成したら自分をほめるようにしなさい。二日に一度コンビニに牛乳を買いに行く。メール友だちを作る。朝の七時や八時ではなく、せめて深夜の三時までには寝るようにする。暗くなってから家のまわりを散歩してみる。家族に優しい言葉をかけてみる。いろいろ目標を立ててみたが、何一つ実行できていない。

焦りはひどくなるばかりだ。このまま死んでいくんだな、と一人で呟いたりするようになった。あきらめてはいけない。そういう風にネットの掲示板などにはよく書いてある。また、焦らずにしばらく休んでもいいんだよ、という風にも書いてある。休むのはいいが、あきらめてはいけない。そういうことだ。簡単ではない。休むこととあきらめることの区別が秀樹にはわからない。あきらめるな、というのと、休んでもいいんだよ、というのをどう関係づければいいのかわからなかった。

そんなことはもうどうでもいいから楽になりたいと思うと、からだと脳が溶けていくような、気味の悪い、それでいて気持ちがいい、変な気分になった。このままでは神経がおかしくなってしまうと思ったときに、秀樹は、黒いケント紙に十センチの穴を開けることを決めた。他にやることが見つからなかった。二時間かけて、カッターナイフで穴を開けた。十センチの穴から、カーテンを通して、日差しが部屋に入ってきた。しかし秀樹はすぐにその穴から外を覗く勇気がなかった。

 

【表紙及び冒頭5ページ】

幻冬舎文庫 村上龍「最後の家族」 表紙_[0] 幻冬舎文庫 村上龍「最後の家族」 本文1_[0] 幻冬舎文庫 村上龍「最後の家族」 本文2_[0]

幻冬舎文庫 村上龍「最後の家族」 本文3_[0] 幻冬舎文庫 村上龍「最後の家族」 本文4_[0] 幻冬舎文庫 村上龍「最後の家族」 本文5_[0]

 

【基本データ】

幻冬舎文庫

平成15年4月15日初版発行

村上龍「最後の家族」

ISBN4-344-40357-6

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池波正太郎「男の作法」

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」1_[0]

【メモ】

・やっぱり食べ物であり、お出かけであり、というあたり、池波正太郎先生は究極の軟派男なのではないか、と思わさせられます。触れるテーマの軸がここら辺なので、読みやすいし面白い。

・こんな風に、自分が好きでいつもやっていることについて、自分なりの考えを持てるくらいにそれぞれをしっかりとやることができる、というのはとても素晴らしいことなのかな、と。

・麻雀のやり方一つ、天ぷらの食べ方一つ、何にしても、十分過ぎるくらいの経験があって、その上で、「こうするのが良い」と他人にいえるくらいに考えを持てていて、でもその内容たるや、めちゃめちゃ力が抜けていて。本を読んだ人がその意見に従おうが従うまいが、そんなことはきっとどうでも良いと思っていらしたのでは無いかと思います。

 

【本文書き出し】

”はじめに

この小冊は、私が五十余年の人生を通じて体験してきたことを、書肆の強い要望に応えて書いた・・・・・・というよりは、語りおろしたものです。

先ず、昨年の初夏に、編集者と、私の若い友人・佐藤隆介と共に九州・由布院の宿へこもって大半を語り終え、その後、佐藤君が筆記した原稿に手を入れ、さらに秋のフランス取材旅行で得た材料を加えて、この一冊が出来あがりました。

男というものが、そのように生きて行くかという問題は、結局、その人が生きている時代そのものと切っても切れないかかわりを持っています。この本の中で私が語っていることは、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。

とはいえ「他山の石」ということわざもあります。男をみがくという問題を考える上で、本書はささやかながら一つのきっかけぐらいにはなろうかと思います。

昭和五十六年三月     池波正太郎”

 

”文庫版の再刊について

三年前に出版された『男の作法』が、このほど新潮文庫へ入ることになった。何としても忸怩たるおもいがするのは『男の作法』というタイトルだ。私は、他人に作法を説けるような男ではない。しかし今度も、前に出したときのタイトルゆえ、変えないでくれとのことで、仕方もなく、そのままにしておくことにした。

どうか、年寄りの戯言とおもわれ、読んでいただきたい。そうすれば、この本は、さほど、おもしろくないこともない。

昭和五十九年秋      池波正太郎”

 

”鮨屋へ行ったときは

シャリだなんて言わないで

普通に

「ゴハン」と言えば

いいんですよ。

 

ちゃんとした鮨屋は”通”ぶる客を軽蔑する

 

(よく鮨屋で、飯のことをシャリと言ったり、生姜のことをガリと言ったりする客がいますが、やっぱりああいうほうが「通」なんでしょうか・・・・・・)

いや、客がそういうことばを使って通ぶるようなのを喜ぶような鮨屋だったら駄目だね。ちゃんとした鮨屋だったら、客がそんなことを言ったらかえって軽蔑されちゃう。

だからね、鮨屋に行ったときはシャリだなんて言わないで普通に「ゴハン」と言えばいいんですよ。トロぐらいは、いま、どこでもそう言うんでしょうから「中トロください」と言えばいいけれども、ぼくらの時分はトロのところなんかでも、

「少し脂のところを・・・・・・」

と、こういうふうに言ったものだよ。

飯のことをシャリとか、箸のことをオテモトとか、醤油のことをムラサキとか、あるいはお茶のことをアガリとか、そういうことを言われたら、昔の本当の鮨屋だったらいやな顔をしたものです。それは鮨屋仲間の隠語なんだからね。お客が使うことはない。

普通に、

「お茶をください」

と言えば、鮨屋のほうでちゃんとしてくれる。だけど、いま、みんなそういうことを言うね。鮨屋に限らず、万事にそういった知ったかぶりが多い…”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」表紙_[0] 新潮文庫 池波正太郎「男の作法」1_[0] 新潮文庫 池波正太郎「男の作法」2_[0]

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」3_[0]新潮文庫 池波正太郎「男の作法」4_[0]新潮文庫 池波正太郎「男の作法」5_[0]

 

【基本データ】

新潮文庫

昭和五十九年十一月二十五日発行

池波正太郎「男の作法」

ISBN978-4-10-115622-4

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池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」

新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」表紙_[0]

【メモ】

・好きなことをやって、好きなものを食べる。特別に贅沢なことをするわけでも無ければ、特別に贅沢なものを食べるわけでもなく、ただ、そのときの状態に「最も適したもの」を、「ちょうど良い具合」に選択する。そういった風に振る舞えるのは、それだけの経験と知識があるからで、そういった姿が「カッコイイ」ということなのかな、と。

・お金も持っていたんだろうけれど、人生はお金ではなく、何が「一番良いか」を選ぶ目、知識、経験などが重要なのであって、それをわかっていること、そのように振る舞えることが「贅沢」ということなのかなと思う。

 

【本文書き出し】

”カンペールのクッキー

☓月☓日

半月ぶりに鍼の治療に行く。

扉を開けると、いつもきまって飼犬ラッキーの歓迎の啼き声がきこえるのに、きょうは屋内がしずまり返っている。二階の治療室へあがり、鍼医の矢口氏へ、

「ラッキー、入院でもしたのですか?」

「先週、亡くなりました。老衰でしたが、やはり、私も家内もさびしくなってしまって・・・・・・昨日が初七日でした」

ラッキーは、黒のミニチュア・プードルだった。

私の背中へ鍼を入れながら、

「犬や猫は、人の心を、人よりも早く読みとりますねえ。何につけ、人間のほうが、カンが鈍いですねえ」

そういう矢口氏の声が湿っていた。

このところ、寒、暖の反復がひどく、人も病んだが犬や猫も同様らしい。私の家にいる六匹の猫のうち、これも老猫のサムが、先日、死んだばかりだ。

夜になって、若い友人の佐藤君が来訪。

「これ、カンペールでつくっているクッキーなんですって。あそこは、クッキーで有名らしいんです。なつかしくなって、買って来ました」

と、クッキーの箱を出して、私にくれた。

三年前に、佐藤君とフランスの田舎をまわったとき、ブルターニュのカンペールの町の、オデ川沿いのカフェでシードル(リンゴ酒)をのんで、一休みしたことがある。

「ふうん。これ、東京で売っていたのかい」

「ですから、よほど質がいいんでしょう」

体裁にとらわれぬ、いかにもフランスの田舎の名産らしい無骨なクッキーだが、チーズとバターをたっぷりときかせた味は、なかなかのものだった。

 

☓月☓日

五日ぶりに銀座へ出て、京橋のワーナーの試写室で〔氷壁の女〕の試写を観る。いまや洗練の極みに達した老匠フレッド・ジンネマン監督の、ようやくに枯れた味わいがただよいはじめてきた秀作…”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」表紙_[0]新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」1_[0]

新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」3_[0]新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」4_[0]新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」5_[0]

 

【基本データ】

新潮文庫

平成三年三月二五日発行

池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」

ISBN4-10-115659-X

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