リリー・フランキー「美女と野球」

河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」表紙_[0]

【メモ】

・リリー・フランキーの本、実は沢山読んでます。どれもオモシロい。僕自身、このサイトとは別に運営している幾つかのサイトでの文章は、リリーさんの文章の影響を色濃く受けている気がします。その他の本についてもオイオイご紹介したいです。

・このサイトで紹介している他の本とはちょっと傾向が違う気もしますが、ボクの評価基準の一つ「読みやすい本=良い本」という意味では、この本もとても読みやすい「良書」の一つなのでは無いかと…。

・傍目にはふざけているようにも見えてしまう「ご自身の人生」を「一生懸命」生きて、それを文章にしているからこそ面白いのかな、と思います。そういった意味では、今までに紹介してきた本、ボクが好きな池井戸潤さんとか、池波正太郎さんとか、そういった方の本が面白いのと、リリー・フランキー先生の本が面白いのには、きっと共通点があるはず、という位に思っています。

・単なる暇つぶしとして読んで頂いても良いですが、「なかなか深みがある」「様な気がする」本です。

 

【本文書き出し】

(1)”金色の男と夜空と司会者

ボクは時々、司会の仕事をする。この季節はやはり、お祭りとかに呼ばれていくのが多い。ボクは司会をする時にはユリ・サリバンと名乗っている。言わずもがなエド・サリバンを意識しているのだけど、ユリの仕事内容はエドと違ってベタベタだ。

今年もボクはF市という米軍のベースのある街の夏祭りに呼ばれた。司会をする時のボクは七三分けだ。メガネもかけるし暑くてもタキシードを着こむダンディな男である。特設ステージではピエロのお兄さんによる風船ショーが行われている。今回はこういう大道芸の人たちやカラオケ大会の進行をする役どころで、去年ココに来た時はプレスリー(そっくりさん)と美空ひばり(そっくりさん)の歌謡ショーの司会だった。ピエロのお兄さんが風船で作るウサギとかをステージの脇からボンヤリと眺めながら思った。

“俺、なんで司会やってるんだ・・・・・・?”

それはあの日からだ。数年前、突然大量のダンボールが届いた。送り主はリリー・ママンキー(オカン)。食べ物にしてはちょっと大きすぎる箱。慌てて開けたその箱の中身を見てボクは呆然とした。そこにはタキシード、タキシード、全部タキシードなのである・手紙には「近所の貸衣装屋さんが潰れたのでもらってきました。何かに使いなさい」。母よ!!アンタは息子にコレをどうしろと言うのか!?

しかし、あの日からボクは司会の他人になってしまった。最初はオモシロがって色んなトコで着てたり、自分の構成してたテレビの深夜番組に着てたりしてたら、イベント屋さんとかにチェックされて、いつのまにか本気の営業司会の人になっていたのだ。息子を九州から遠隔操作する恐るべきママンキーである。あの時、「タキシード=司会者」というチープな発想以外を持ち合わせていたら…”

 

(3)”ヒゲの女

ヒゲのはえている女がいる。

誰しも今までに一度や二度はヒゲのはえた女を見たことがあるはずだ。特に中学生ぐらいの女子はヒゲ率が高い。アレはその年ごろ特有の病気とう訳ではない。女もヒゲがはえるのだ。女も男と同様にそれなりのヒゲがはえる生き物なのである。

問題は、そのヒゲを剃らない女が存在することだ。ヒゲ女が珍しい存在であることは、同時に、ほとんどの女がヒゲを剃っているということで、その行為がみだしなみであり、それ以前に女として生きるための常識でもあるからである。

とにかく、ヒゲをはやした女はどういう神経で何をかんがえているのか!?と言いたいのだ。中坊はまだ、お咎め無しとしても、それ以上のイイ年をした女がヒゲをはやして表に出て平気な顔をしているというのが理解できぬ。

この間、中野の街を歩いた時だ。駅前で宗教勧誘員のネエちゃんに声をかけられた。いつもなら、そのまま通り過ぎるところだが、そのネエちゃんのヒゲを見た途端、反射的に立ち止まってしまい、話をするハメになってしまった。年の頃は二十歳前後だろう。紺のツーピースを着ている。そして、これが気の毒なことに、結構カワイイ。色白の肌にヒゲが映える。男のヒゲと違い、女のヒゲはウブ毛である。が、そのウブ毛というものは伸びて密集していると、これはもう、絶望的に不潔で醜い。男だったら、「いい、おヒゲを蓄えてらっしゃいますな」とホメるところだが、もうなんちゅーうね、コレは。

そして、彼女は笑顔で言う。

「人類の幸せとは何だと考えていらっしゃいますか?」

まぁ、待て。その前にお前にひとこと言わせてくれ、その場で言えなかったから、ここに書く。人類の幸せ、地球、神、宇宙。何にしても幸せについて考えるのはいいことだ。しかし、そのグローバルな幸福を考え始めた時に、まずやらなければイカンことは、その君個人の幸せを獲得することだろう。そう、君はまず全人類の心配をする前に、ヒゲを剃れ。急いでヒゲを剃るべきだ。しかし君は言うだろう。「私はとっても幸せです」と。違うぞ!!それは、違う。君はそのヒゲに無頓着でいるために様々な迫害を知らずのうちに受けているハズだ。現に今、僕は君のことを奇人を見る目で接している……宗教家ならば、まず第一に「汝ヒゲを剃りなさい。とらわれの時も病める時も、ヒゲを剃りなさない。ならば道は開かれん」と言ってあげろ……ヒゲ女がひとり、いやオマエのところはもっといるだろう、女のヒゲを剃らすことも出来ん宗教なんぞ邪教である。

以前、ボクは知人に唆されて、ある自己啓発セミナーに行ったことがある……

……ボーッとしていると福島は言った

「アナタはいいかげんな感じがしますね。それに協調性がないというか自分勝手で・・・・・・」

な、なんで!?なぜそんなことが言える!?決して外れてはいないけど怖い人だ……

「あのー。ボクの意見としては、あなたはもっと女性としてのみだしなみに注意したらどうかと・・・・・・」ひとくさり罵倒された後、やっとボクはこう言った。本当は「ヒゲ剃れよ!!この……”

 

【表紙及び冒頭4ページ】

河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」表紙_[0] 河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」本文1_[0] 河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」本文2_[0]

河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」本文3_[0] 河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」本文4_[0]

 

【基本データ】

二〇〇五年一〇月二〇日 初版発行

ISBN4-309-40762-5

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池波正太郎「男の作法」

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」1_[0]

【メモ】

・やっぱり食べ物であり、お出かけであり、というあたり、池波正太郎先生は究極の軟派男なのではないか、と思わさせられます。触れるテーマの軸がここら辺なので、読みやすいし面白い。

・こんな風に、自分が好きでいつもやっていることについて、自分なりの考えを持てるくらいにそれぞれをしっかりとやることができる、というのはとても素晴らしいことなのかな、と。

・麻雀のやり方一つ、天ぷらの食べ方一つ、何にしても、十分過ぎるくらいの経験があって、その上で、「こうするのが良い」と他人にいえるくらいに考えを持てていて、でもその内容たるや、めちゃめちゃ力が抜けていて。本を読んだ人がその意見に従おうが従うまいが、そんなことはきっとどうでも良いと思っていらしたのでは無いかと思います。

 

【本文書き出し】

”はじめに

この小冊は、私が五十余年の人生を通じて体験してきたことを、書肆の強い要望に応えて書いた・・・・・・というよりは、語りおろしたものです。

先ず、昨年の初夏に、編集者と、私の若い友人・佐藤隆介と共に九州・由布院の宿へこもって大半を語り終え、その後、佐藤君が筆記した原稿に手を入れ、さらに秋のフランス取材旅行で得た材料を加えて、この一冊が出来あがりました。

男というものが、そのように生きて行くかという問題は、結局、その人が生きている時代そのものと切っても切れないかかわりを持っています。この本の中で私が語っていることは、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。

とはいえ「他山の石」ということわざもあります。男をみがくという問題を考える上で、本書はささやかながら一つのきっかけぐらいにはなろうかと思います。

昭和五十六年三月     池波正太郎”

 

”文庫版の再刊について

三年前に出版された『男の作法』が、このほど新潮文庫へ入ることになった。何としても忸怩たるおもいがするのは『男の作法』というタイトルだ。私は、他人に作法を説けるような男ではない。しかし今度も、前に出したときのタイトルゆえ、変えないでくれとのことで、仕方もなく、そのままにしておくことにした。

どうか、年寄りの戯言とおもわれ、読んでいただきたい。そうすれば、この本は、さほど、おもしろくないこともない。

昭和五十九年秋      池波正太郎”

 

”鮨屋へ行ったときは

シャリだなんて言わないで

普通に

「ゴハン」と言えば

いいんですよ。

 

ちゃんとした鮨屋は”通”ぶる客を軽蔑する

 

(よく鮨屋で、飯のことをシャリと言ったり、生姜のことをガリと言ったりする客がいますが、やっぱりああいうほうが「通」なんでしょうか・・・・・・)

いや、客がそういうことばを使って通ぶるようなのを喜ぶような鮨屋だったら駄目だね。ちゃんとした鮨屋だったら、客がそんなことを言ったらかえって軽蔑されちゃう。

だからね、鮨屋に行ったときはシャリだなんて言わないで普通に「ゴハン」と言えばいいんですよ。トロぐらいは、いま、どこでもそう言うんでしょうから「中トロください」と言えばいいけれども、ぼくらの時分はトロのところなんかでも、

「少し脂のところを・・・・・・」

と、こういうふうに言ったものだよ。

飯のことをシャリとか、箸のことをオテモトとか、醤油のことをムラサキとか、あるいはお茶のことをアガリとか、そういうことを言われたら、昔の本当の鮨屋だったらいやな顔をしたものです。それは鮨屋仲間の隠語なんだからね。お客が使うことはない。

普通に、

「お茶をください」

と言えば、鮨屋のほうでちゃんとしてくれる。だけど、いま、みんなそういうことを言うね。鮨屋に限らず、万事にそういった知ったかぶりが多い…”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」表紙_[0] 新潮文庫 池波正太郎「男の作法」1_[0] 新潮文庫 池波正太郎「男の作法」2_[0]

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」3_[0]新潮文庫 池波正太郎「男の作法」4_[0]新潮文庫 池波正太郎「男の作法」5_[0]

 

【基本データ】

新潮文庫

昭和五十九年十一月二十五日発行

池波正太郎「男の作法」

ISBN978-4-10-115622-4

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池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」

新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」表紙_[0]

【メモ】

・好きなことをやって、好きなものを食べる。特別に贅沢なことをするわけでも無ければ、特別に贅沢なものを食べるわけでもなく、ただ、そのときの状態に「最も適したもの」を、「ちょうど良い具合」に選択する。そういった風に振る舞えるのは、それだけの経験と知識があるからで、そういった姿が「カッコイイ」ということなのかな、と。

・お金も持っていたんだろうけれど、人生はお金ではなく、何が「一番良いか」を選ぶ目、知識、経験などが重要なのであって、それをわかっていること、そのように振る舞えることが「贅沢」ということなのかなと思う。

 

【本文書き出し】

”カンペールのクッキー

☓月☓日

半月ぶりに鍼の治療に行く。

扉を開けると、いつもきまって飼犬ラッキーの歓迎の啼き声がきこえるのに、きょうは屋内がしずまり返っている。二階の治療室へあがり、鍼医の矢口氏へ、

「ラッキー、入院でもしたのですか?」

「先週、亡くなりました。老衰でしたが、やはり、私も家内もさびしくなってしまって・・・・・・昨日が初七日でした」

ラッキーは、黒のミニチュア・プードルだった。

私の背中へ鍼を入れながら、

「犬や猫は、人の心を、人よりも早く読みとりますねえ。何につけ、人間のほうが、カンが鈍いですねえ」

そういう矢口氏の声が湿っていた。

このところ、寒、暖の反復がひどく、人も病んだが犬や猫も同様らしい。私の家にいる六匹の猫のうち、これも老猫のサムが、先日、死んだばかりだ。

夜になって、若い友人の佐藤君が来訪。

「これ、カンペールでつくっているクッキーなんですって。あそこは、クッキーで有名らしいんです。なつかしくなって、買って来ました」

と、クッキーの箱を出して、私にくれた。

三年前に、佐藤君とフランスの田舎をまわったとき、ブルターニュのカンペールの町の、オデ川沿いのカフェでシードル(リンゴ酒)をのんで、一休みしたことがある。

「ふうん。これ、東京で売っていたのかい」

「ですから、よほど質がいいんでしょう」

体裁にとらわれぬ、いかにもフランスの田舎の名産らしい無骨なクッキーだが、チーズとバターをたっぷりときかせた味は、なかなかのものだった。

 

☓月☓日

五日ぶりに銀座へ出て、京橋のワーナーの試写室で〔氷壁の女〕の試写を観る。いまや洗練の極みに達した老匠フレッド・ジンネマン監督の、ようやくに枯れた味わいがただよいはじめてきた秀作…”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」表紙_[0]新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」1_[0]

新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」3_[0]新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」4_[0]新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」5_[0]

 

【基本データ】

新潮文庫

平成三年三月二五日発行

池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」

ISBN4-10-115659-X

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