冬野花「インド人の頭ん中」

中経の文庫 冬野花「インド人の頭ん中」表紙_[0]

【メモ】

・やたらと言い訳が多く、でも憎めない。そんなインド人。日本で当たり前のことがなかなか当たり前にならない。そんな国、インド。

・仲の良い友人が仕事で3〜4年インドに行っていたけれど、似たようなことを言っていた気がする。

・著者の達観したような書きっぷり、結構好きです。こういう自虐ノリツッコミ的な視点って、ギャグのセンスとして個人的には結構ツボに入ってしまう感じ。好きな人は好きだと思うんですけれど。

・著者のブログサイトもなかなか面白いです。この本を読んでみたい、と思った方は、サイト側もチェックしてみると良いかも。ブログの方もほとんど全部と言っていいくらい読んでみましたが、一番のツボは”お花見で「ヤキ」を食べた思い出”あたりでしょうか。あとは、個人的には、食文化まわりのエピソードにこの著者の見た「インド人の頭ん中」が結構わかりやすく、そして面白く現れている様な気がしてて面白かったです。

・読みやすく、いっちゃ悪いですが暇つぶし的な。でもこういうお話を、何の目的があるわけでも無く読んで、単に笑い飛ばして終わったり、もしかしてもしかすると何かに気がついたり何かの役に立ったりすることもある、というのも、大人の生活には必要なことなのでは無いかと思うわけです。

 

【本文書き出し】

” 初めてのお引っ越し

さっぱり地理感のない、気温四十度を超える街。

インドに住むことを決め、デリーにやってきた私は、ケチをこじらせたために、エアコンもない安宿に泊まりながら、息をするのも暑いさなか、怪しげな不動産屋をヨレヨレになりながら回っていた。毎日、自分の出した大量の汗で漬物のようにシナシナになること一週間。ようやく、とりあえずの部屋を見つけたのだった。

しかし、それは今から思えば「使用人用の物件」だった。インドの家々の屋上には、必ずといっていいほど住み込みの使用人用の粗末な小屋がある。私が見つけたのはまさにそんな小屋だったのだが、その時点では、知るよしもなかった。

私が住んでしまった物件は、老夫婦の住む家の屋上に、粗末な小屋が三つ、それぞれ離れて建っているという造りだった。小屋のうちのひとつは居間にあたり、八畳くらいの広さだったが、棚すらない真四角のコンクリート製の部屋。家具も一切なく、壁もずいぶん汚れていたので、拭いたところ、コンクリの地肌が出現し、なんと「水性ペンキで塗ってあるので拭けない」ことが発覚した。

倉庫の扉のような鉄製のドアを開け、一度外へでて六メートルくらい離れた場所には、キッチン小屋があった。しかし、「半分外にある感じ」なので、飛んでくる土ぼこりはあり得ない量だった。それもその当時の私には知り得なかったことだが、デリーのほこりの量ときたら、常軌を逸しているのである。三日使わなかったフライパンには、日本で「外に放置して一年」くらいのほこりが積もった。

キッチンの反対側には、また鉄のドアがあり、開けると向こう側に今度は、トイレ&シャワー用の小屋があるのだが、そこに飛んでくる砂の量も、尋常でなかった。砂漠のほうから「ルー」という風が吹く季節には。数時間掃除をしないと、廃屋のトイレのようになった。

そして、暑さ!デリーでは、日本とは反対に、一階の家賃が最も高く、最上階が一番安い。なぜならば、真夏の気温は四十五度に達することもあり、そうなると屋上の部屋の室温は、地獄に匹敵するからである。

狭い上に、自分より上の階はなく、サイド四面にも何もない、孤立した私の小屋は、「炎天下でドラム缶に閉じ込められた」くらいの暑さであった。今でも、住み込みの使用人の大半が、そういった劣悪な環境に住んでいるわけだけれど、いったいどうやって暮らしているのだろう・・・・・・。

どうしようもないので、わたしはエアコンを購入した。しかし、それは窓につける(つまり室外機がセパレートでない)タイプで、私の小さな部屋の窓にはめるには多きすぎたため、壁の一部を壊して取りつける羽目になったのである。ハンマーでゴーンとやると、普通に壊れて穴が開いてしまうインドの家の構造と、その壁のあり得ない薄さに驚き、改めて「暑いはずだよ・・・・・・」と思った。

しかも、そのときにはやはり知らなかったデリーの停電事情と、インドの電気代の高さのため、エアコンもそんなに活用できなかったのである。結局、寝る前の一時間つけるだけで、あとは、冷たい缶ビールを脇の下やひざの裏に挟むという手法で寝た。

当時は、冷蔵庫が恋人であった。何ひとつなかったキッチンに、近くの店で買った、韓国製の小さな冷蔵庫をポツネンと置いて、それだけが命綱。ろくなものがない家の中で、冷蔵庫だけが輝いていて、「あなたがいなければ私は死んでしまう!」というくらい冷蔵庫に寄りかかって暮らした。

ちなみに、その冷蔵庫だって、「スカイブルー」を頼んだはずが、手元に届いたのは全然うれしくないシルバーだったという、いわくつきのもので、恋人なのに見かけは気に入っていなかった。インドというのは、得てして、頼んでもいないものはちゃんと届くくせに、欲しいものは絶対にスムーズに手に入らないところなのだ・・・・・・。

そんなこんなで…”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

中経の文庫 冬野花「インド人の頭ん中」表紙_[0] 中経の文庫 冬野花「インド人の頭ん中」本文1_[0] 中経の文庫 冬野花「インド人の頭ん中」本文2_[0]

中経の文庫 冬野花「インド人の頭ん中」本文3_[0] 中経の文庫 冬野花「インド人の頭ん中」本文4_[0] 中経の文庫 冬野花「インド人の頭ん中」本文5_[0]

 

【基本データ】

中経の文庫

2009年3月6日 第一刷発行

冬野花「インド人の頭ん中」

ISBN978-4-8061-3299-8

”この本、読ませてみたいな”と思ったら 



リリー・フランキー「美女と野球」

河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」表紙_[0]

【メモ】

・リリー・フランキーの本、実は沢山読んでます。どれもオモシロい。僕自身、このサイトとは別に運営している幾つかのサイトでの文章は、リリーさんの文章の影響を色濃く受けている気がします。その他の本についてもオイオイご紹介したいです。

・このサイトで紹介している他の本とはちょっと傾向が違う気もしますが、ボクの評価基準の一つ「読みやすい本=良い本」という意味では、この本もとても読みやすい「良書」の一つなのでは無いかと…。

・傍目にはふざけているようにも見えてしまう「ご自身の人生」を「一生懸命」生きて、それを文章にしているからこそ面白いのかな、と思います。そういった意味では、今までに紹介してきた本、ボクが好きな池井戸潤さんとか、池波正太郎さんとか、そういった方の本が面白いのと、リリー・フランキー先生の本が面白いのには、きっと共通点があるはず、という位に思っています。

・単なる暇つぶしとして読んで頂いても良いですが、「なかなか深みがある」「様な気がする」本です。

 

【本文書き出し】

(1)”金色の男と夜空と司会者

ボクは時々、司会の仕事をする。この季節はやはり、お祭りとかに呼ばれていくのが多い。ボクは司会をする時にはユリ・サリバンと名乗っている。言わずもがなエド・サリバンを意識しているのだけど、ユリの仕事内容はエドと違ってベタベタだ。

今年もボクはF市という米軍のベースのある街の夏祭りに呼ばれた。司会をする時のボクは七三分けだ。メガネもかけるし暑くてもタキシードを着こむダンディな男である。特設ステージではピエロのお兄さんによる風船ショーが行われている。今回はこういう大道芸の人たちやカラオケ大会の進行をする役どころで、去年ココに来た時はプレスリー(そっくりさん)と美空ひばり(そっくりさん)の歌謡ショーの司会だった。ピエロのお兄さんが風船で作るウサギとかをステージの脇からボンヤリと眺めながら思った。

“俺、なんで司会やってるんだ・・・・・・?”

それはあの日からだ。数年前、突然大量のダンボールが届いた。送り主はリリー・ママンキー(オカン)。食べ物にしてはちょっと大きすぎる箱。慌てて開けたその箱の中身を見てボクは呆然とした。そこにはタキシード、タキシード、全部タキシードなのである・手紙には「近所の貸衣装屋さんが潰れたのでもらってきました。何かに使いなさい」。母よ!!アンタは息子にコレをどうしろと言うのか!?

しかし、あの日からボクは司会の他人になってしまった。最初はオモシロがって色んなトコで着てたり、自分の構成してたテレビの深夜番組に着てたりしてたら、イベント屋さんとかにチェックされて、いつのまにか本気の営業司会の人になっていたのだ。息子を九州から遠隔操作する恐るべきママンキーである。あの時、「タキシード=司会者」というチープな発想以外を持ち合わせていたら…”

 

(3)”ヒゲの女

ヒゲのはえている女がいる。

誰しも今までに一度や二度はヒゲのはえた女を見たことがあるはずだ。特に中学生ぐらいの女子はヒゲ率が高い。アレはその年ごろ特有の病気とう訳ではない。女もヒゲがはえるのだ。女も男と同様にそれなりのヒゲがはえる生き物なのである。

問題は、そのヒゲを剃らない女が存在することだ。ヒゲ女が珍しい存在であることは、同時に、ほとんどの女がヒゲを剃っているということで、その行為がみだしなみであり、それ以前に女として生きるための常識でもあるからである。

とにかく、ヒゲをはやした女はどういう神経で何をかんがえているのか!?と言いたいのだ。中坊はまだ、お咎め無しとしても、それ以上のイイ年をした女がヒゲをはやして表に出て平気な顔をしているというのが理解できぬ。

この間、中野の街を歩いた時だ。駅前で宗教勧誘員のネエちゃんに声をかけられた。いつもなら、そのまま通り過ぎるところだが、そのネエちゃんのヒゲを見た途端、反射的に立ち止まってしまい、話をするハメになってしまった。年の頃は二十歳前後だろう。紺のツーピースを着ている。そして、これが気の毒なことに、結構カワイイ。色白の肌にヒゲが映える。男のヒゲと違い、女のヒゲはウブ毛である。が、そのウブ毛というものは伸びて密集していると、これはもう、絶望的に不潔で醜い。男だったら、「いい、おヒゲを蓄えてらっしゃいますな」とホメるところだが、もうなんちゅーうね、コレは。

そして、彼女は笑顔で言う。

「人類の幸せとは何だと考えていらっしゃいますか?」

まぁ、待て。その前にお前にひとこと言わせてくれ、その場で言えなかったから、ここに書く。人類の幸せ、地球、神、宇宙。何にしても幸せについて考えるのはいいことだ。しかし、そのグローバルな幸福を考え始めた時に、まずやらなければイカンことは、その君個人の幸せを獲得することだろう。そう、君はまず全人類の心配をする前に、ヒゲを剃れ。急いでヒゲを剃るべきだ。しかし君は言うだろう。「私はとっても幸せです」と。違うぞ!!それは、違う。君はそのヒゲに無頓着でいるために様々な迫害を知らずのうちに受けているハズだ。現に今、僕は君のことを奇人を見る目で接している……宗教家ならば、まず第一に「汝ヒゲを剃りなさい。とらわれの時も病める時も、ヒゲを剃りなさない。ならば道は開かれん」と言ってあげろ……ヒゲ女がひとり、いやオマエのところはもっといるだろう、女のヒゲを剃らすことも出来ん宗教なんぞ邪教である。

以前、ボクは知人に唆されて、ある自己啓発セミナーに行ったことがある……

……ボーッとしていると福島は言った

「アナタはいいかげんな感じがしますね。それに協調性がないというか自分勝手で・・・・・・」

な、なんで!?なぜそんなことが言える!?決して外れてはいないけど怖い人だ……

「あのー。ボクの意見としては、あなたはもっと女性としてのみだしなみに注意したらどうかと・・・・・・」ひとくさり罵倒された後、やっとボクはこう言った。本当は「ヒゲ剃れよ!!この……”

 

【表紙及び冒頭4ページ】

河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」表紙_[0] 河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」本文1_[0] 河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」本文2_[0]

河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」本文3_[0] 河出文庫 リリー・フランキー「美女と野球」本文4_[0]

 

【基本データ】

二〇〇五年一〇月二〇日 初版発行

ISBN4-309-40762-5

”この本、読ませてみたいな”と思ったら