岡田 淳『放課後の時間割』

岡田 淳『放課後の時間割』

【メモ】

・野にすむのがノネズミで、どぶにすむのがドブネズミ。学校にすむのは…学校ネズミ。確かに。

・最後の学校ネズミが「ぼく」に話してくれた、学校ネズミのなかで語り伝えられてきた、十三編のすてきなお話。

・学校を舞台にした、ちょっとふしぎな物語。ふしぎばっかりかと思ったら、少し切なくなるような、それでいて、ちょっと嬉しい気持ちになるような、そんなお話もいっぱい入ってます。

・日本児童文学者新人賞受賞作品。お子さんの夏休みの読書にもどうぞ。小学校で配られた推薦図書のリストの中にあった一冊。本屋さんによったときに、ぱらぱらと立ち読みして、小学校3年生の息子にちょうどよさそうかなと思って選んだんですが、お父さんの方が先に読んでしまいました。

 

【子どもの読書に関わるデータ】

ふりがなの状況:総ルビではありませんが、ふりがなの振られていない字は、小学校1年2年レベルのもの〜せいぜい小学校3年の途中くらいといったところでしょうか。難しい漢字には、当然全てふりがなが振られています。

文字の大きさ:比較的大きい。

所感:

・難しい字にはふりがなが振られてますから、小学校3年くらいならば十分読めますし、本が好きなお子さんなら、小学校2年か、もしかすると1年生でもチャレンジできるかも。

・随所にユーモアの散りばめられた空想の物語。やさしさ、思いやり、最後にはちょっと感動もあります。子どもに読ませたい、いいお話満載の、とてもいい本だと思います。

 

【表紙、冒頭の登場人物紹介ページ及び本文冒頭3ページ】

岡田 淳『放課後の時間割』表紙 岡田 淳『放課後の時間割』はじめに 岡田 淳『放課後の時間割』目次1

岡田 淳『放課後の時間割』目次2 岡田 淳『放課後の時間割』本文1 岡田 淳『放課後の時間割』本文2

岡田 淳『放課後の時間割』本文3

 

【本文書き出し】

”1 それがはじまったわけ

秋の日はくれるのがはやい。三方を校舎でかこまれた中庭は、もうくらくなっていた。

ぼくは、戸じまりをするために、図工室へいくところだった。ネコのけんかに出くわしたのは、そのときだ。

きっと、人間にひどいめにあわされたのらネコだったのだろう。ぼくに気づくと、二ひきは、あわててにげだした。

ネコがにげたあとに、なにかがおちていた。小さな人形だった。くらくても目についたのは、白い服をきていたからだ。

どうやらネコたちは、それをうばいあっていたらしい。ネコがほしがる人形ーーー? ぼくは興味をひかれて、ひろいあげた…”

 

【基本データ】

偕成社

1980年7月 初版1刷

1987年8月 改訂1刷

岡田 淳『放課後の時間割』

ISBN978-4-03-641170-2

”この本、読ませてみたいな”と思ったら 



重松清『小学五年生』

文春文庫 重松清「小学五年生」

【メモ】

・切なく、哀愁や郷愁を感じされられる短編集。どの話も、読後に心地よい感情が残る。

・短く区切られた、簡潔で読みやすい文章。極端ともいえるほどにシンプルな文体。すべてを書きすぎていないからこそ、読者は行間を読むことができる。読んだ人それぞれが、自らの経験や記憶にもとづいてイメージを脳内で補完し、ストーリーを完成させることができる。だからこそ切ない。だからこそ美しい、映画やテレビの映像、写実的に事細かに書き込まれた盛りだくさんの文書では、決して表現し得ないもの。

・感動。爽快、爽やか。記憶、追憶、切ない、郷愁。

・中学入試に採用されるというのもうなずける。そのために読むんじゃないけれど、そのために読む必要もないけれど、小学生の息子にも読ませてみたい。まあ、経験がなさすぎて、なんだかちんぷんかんぷん、この本の良さはまだわからないかもだけど。

・中でも僕の一番のおすすめは、「バスに乗って」。小学生でも十分に理解できる、愛情に満ちあふれた、心温まるショートストーリー。下手な読解力トレーニング用のテキストなんかをやらせるより、この一話をしっかりと読ませるほうが、いろいろな意味で100倍子どものためになると思う。「おとうと」もいいです。友人との話もいいけれど、やはり、親子や兄弟、家族がお互いを思いやる気持ちやその愛情を描いたストーリーが素敵。

※男女の体の発達や第二次性徴など、小学校高学年以上向けかもと思われるような話や表現が一部に出てきますので、小学生以下のお子さんに読ませる際には、保護者の方が確認された上で判断されることをおすすめします。個人的には、小学生であっても読ませても大丈夫な範囲に収まっているのではないかと思います。

 

【本文書き出し】

” この町に引っ越してきて初めてデパートに出かけた日曜日、少年はお母さんに写真立てを買ってもらった。二枚合せになった透明なアクリル板にしいさなスタンドがついただけの、簡単な写真立てだった。文具売り場の棚にはフレームが飾り付いたものやペン立てとセットになったものもあったが、「どれにする?」とお母さんに訊かれたとき、いちばんシンプルなものを指差した—それがいちばんオトナっぽくて、オトコっぽいと思ったから。

家に帰ると、さっそくアクリル板に写真を挟んだ。昨日手紙と一緒に届いたばかりの写真だ。三人の男の子が、花が咲いた桜の木をバックに並んで立っている。少年を真ん中に、向かって右がエンドウくんで、左がヒノくん。三人ともカメラに向かってVサインをつくり、にっこり笑っている。四年生の終業式の日に撮った写真のうちの一枚だった。カメラの持ち主のハラくんは、他にも数枚の写真を焼き増しして送ってくれた。エンドウくんやヒノくんよりも仲良しだった子と一緒の写真もあったが、写真立てに入れるのは、この写真でなくてはいけない。

三人が背にした桜の木は、町の中でもいちばん大きな木だった。三人がかりで手をつないでも一周できないほどの太い幹の反対側で、女子が記念撮影をしていた。少年と同じように終業式を最後に転校してしまう子が、女子にもいた。ユキコという。背が高くて、足が速くて、おとなしいけれどリコーダーのとても上手な子。

写真立てに入れた一枚には、ユキコが写っている。たまたまだった。女子の撮影が先に終わって、幹の向こう側からひょいと顔をだした、ちょうどどのときハラくんがシャッターを切ったのだ。カメラを見ていた。笑顔がすぼむ直前の、ぎりぎりのところで、笑っていた。

だから—この写真、なのだ。

傷も汚れもついていないアクリル板を隔てて見つめるユキコの顔は、写真をじかに見るときよりも光沢が増してきれいだった……”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

重松清 小学五年生 文春文庫 表表紙_[0]重松清 小学五年生 文春文庫1_[0]重松清 小学五年生 文春文庫 本文1_[1]

重松清 小学五年生 文春文庫 本文2_[1]重松清 小学五年生 文春文庫 本文3_[1]重松清 小学五年生 文春文庫 本文4_[1]

 

【子どもの読書に関わるデータ】

ふりがなの状況:ほぼなし(難読のもののみ、ごくまれにふりがなが振られています)

文字の大きさ:小さい、大人向け文庫とほぼ同等サイズ

所感:子ども向けに書かれた本というわけではありませんが、平易な読みやすい文書で書かれており、内容的にも、小学校高学年程度であれば十分に読むことができます。また、親として、「小学校高学年〜中学入学程度の時期に読ませてみたい(かも)」と思わさせられる内容でもあると感じました(重松清氏の小説は中学入試問題に使用されることも多いとのことで、そういった意味でも、小学校高学年のお子さんに読ませてみるというのはありだと思います)。

 

【基本データ】

文春文庫

2009年12月10日第一刷

重松清「小学五年生」

ISBN978-4-16-766908-9

”この本、読ませてみたいな”と思ったら 



横山秀夫「クライマーズ・ハイ」

文春文庫 横山秀夫「クライマーズ・ハイ」表紙_[0]

【メモ】

・日航ジャンボ機墜落事故発生当時、ボクは小学校6年生。ことの重大さがわからない年齢では無かったと思うが、何故が「それなりの頻度で起きるような事故なのかな?」と思った記憶がある。それは周囲の大人たちの反応に何か「鈍さ」のようなものを感じていたからの様な記憶があるが、あまりに大きな事故なせいだったのだろうか?それとも、あまりに悲惨な事故だったからこそ、周囲の大人たちが子供に大して極力それを感じ取らせないように振舞ったせいだったのだろうか?恐らく、ボクの通っていた私立小学校の中にも親類や関係者が事故に巻き込まれたという友人もいただろう。

・物語自体は、日航ジャンボ機墜落事故と主人公の周辺で起きる人間関係、それから17年のちの谷川岳衝立岩でのシーンが交錯しながら進む。

・何度となく盛り上ってクライマックスが訪れる。どんどんと引き込まれるように一気に読まさせられてしまう文章。読みやすい。

・物語中の「盛り上がり」に何度となく引き込まれるが、ボクの中での最大のクライマックスは間違いなく423ページ最後の行から。”「届くはずです。だって—」燐太郎の声に力がこもった。「そのハーケン…”

・実はなんだかんだで今までに10回位は読み返してる。その位面白い。

 

【本文書き出し】

”1

旧式の電車はゴトンと一つ後方に揺り戻して止まった。

JR上越線の土合駅は群馬県の最北端に位置する。下り線ホームは地中深くに掘られたトンネルの中にあって、陽光を目にするには四百八十六段の階段を上らなければならない。それは「上がる」というよりも「登る」に近い負荷を足に強いるから、谷川岳の山行はもうここから始まっていると言っていい。

悠木和雅は爪先の収まりの悪さに登山靴を意識していた。

そうでなくても一気に階段を上がりきるのは難しかった。ペンキで書かれた「300段」の手前の踊り場で、たまらず一息入れた。十七年前と同じ思いにとらわれる。試され、篩に掛けられている。ここで息が上がるようなら「魔の山」の領域に足を踏み入れる資格はないということだ。十七年前は記者生活の不摂生が肩で息をさせたが、今回は五十七歳という年齢が脈拍数を何割か増加させているようだった。

衝立岩に登る。

胸の決意は今にも霧散してしまいそうだった。それでも安西耿一郎の輝く瞳が脳裏から消えてしまったわけではなかった。耳も忘れてはいない。生粋の「山屋」であった彼がぽろっと口にしたあの言葉を。

下りるために登るんさ—。

悠木は上を見つめ、階段の歩を進めた。

下りるために山に登る。その謎めいた言葉の意味をずっと考え続けてきた。一つの答えが胸にある。だが、その答えを確かめる相手がもはやこの世にいなかった。

地上には初秋の淡い光が満ちていた。午後二時を回ったところだ。頬を撫でる風は冷たかった。同じ群馬でも悠木が長く住んでいた高崎とは気温も空気の匂いも異なる。赤いとんがり屋根の駅舎を後にして国道291号線を北に向かって歩く。踏切を超え、雪除けのトンネルを抜けると芝地が右手に広がる。土合霊園地だ、

地元水上町が建立した「過去碑」には、谷川岳で遭難死した七百七十九人の名が刻まれている。「魔の山」の呼び名だけではその凄絶な歴史を説明しきれず、だから「墓標の山」「人喰い山」といった直截的な異名を併せ持つようになった。たかだか二千メートル級の連峰にありながら、地球上のどこを探してもこれほど死が身近な山は存在しない。一つには上越国境特有の気象変化の目まぐるしさが遭難多発の要因に挙げられる。しかし仮に、谷川岳が「一ノ倉沢」に代表される急峻な岩場を抱えていなかったとしたら日本中にその名を馳せることもなかった。未登岩壁の征服。熾烈な初登攀争い。往時、先鋭的な登山家たちは艱難と名声を求めて津波のごとくこの地に押し寄せた。地下駅ができるや、彼らはあの四百八十六段の階段を全力疾走で駆け上がったという。一分一秒を競って岩壁に取りつき、存分によじり、そして存分に墜ちた。谷川岳が危険な山であることが喧伝されればされるほど、血気盛んな若い登山家の心を高揚させ。それがまた過去碑の名を増やす結果へと繋がっていった。衝立岩は、そんな彼らをして「不可能の代名詞」「最終課題」と言わしめ、長い年月。未登の岩壁であり続けた。時はめぐり、登山用具とクライミングの技術の進歩によって十数本の登攀ルートが開拓されるに至ったが、それを成すために、さらなる多大な犠牲が払われたことは言うまでもない。「ワースト・オブ・ワースト」—最悪の中の最悪。それこそが衝立岩に与えられた最後の異名だった。

なあなあ、悠ちゃん、ドーンと思い切って衝立岩をやろうや—。

安西に連れられて衝立岩を下見した。彼の手ほどきで訓練も積んだ。十七年前のあの日、悠木と安西はザイルを組んで衝立岩に挑むはずだった。

だが、約束は果たせなかった。

その前夜、日航ジャンボ機が群馬県上野村山中の御巣鷹山に墜落したからだった。一瞬にして五百二十人の命が散った。悠木は地元紙「北関東新聞」の統括デスクとして、谷川岳ではない、もう一つの「墓標の山」と格闘することになった…”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

文春文庫 横山秀夫「クライマーズ・ハイ」表紙_[0] 文春文庫 横山秀夫「クライマーズ・ハイ」本文1_[0] 文春文庫 横山秀夫「クライマーズ・ハイ」本文2_[0]

文春文庫 横山秀夫「クライマーズ・ハイ」本文3_[0]文春文庫 横山秀夫「クライマーズ・ハイ」本文4_[0]文春文庫 横山秀夫「クライマーズ・ハイ」本文5_[0]

 

【基本データ】

文春文庫

2006年6月10日 第1刷

横山秀夫「クライマーズ・ハイ」

ISBN4-16-765903-4

”この本、読ませてみたいな”と思ったら