【メモ】
・日航ジャンボ機墜落事故発生当時、ボクは小学校6年生。ことの重大さがわからない年齢では無かったと思うが、何故が「それなりの頻度で起きるような事故なのかな?」と思った記憶がある。それは周囲の大人たちの反応に何か「鈍さ」のようなものを感じていたからの様な記憶があるが、あまりに大きな事故なせいだったのだろうか?それとも、あまりに悲惨な事故だったからこそ、周囲の大人たちが子供に大して極力それを感じ取らせないように振舞ったせいだったのだろうか?恐らく、ボクの通っていた私立小学校の中にも親類や関係者が事故に巻き込まれたという友人もいただろう。
・物語自体は、日航ジャンボ機墜落事故と主人公の周辺で起きる人間関係、それから17年のちの谷川岳衝立岩でのシーンが交錯しながら進む。
・何度となく盛り上ってクライマックスが訪れる。どんどんと引き込まれるように一気に読まさせられてしまう文章。読みやすい。
・物語中の「盛り上がり」に何度となく引き込まれるが、ボクの中での最大のクライマックスは間違いなく423ページ最後の行から。”「届くはずです。だって—」燐太郎の声に力がこもった。「そのハーケン…”
・実はなんだかんだで今までに10回位は読み返してる。その位面白い。
【本文書き出し】
”1
旧式の電車はゴトンと一つ後方に揺り戻して止まった。
JR上越線の土合駅は群馬県の最北端に位置する。下り線ホームは地中深くに掘られたトンネルの中にあって、陽光を目にするには四百八十六段の階段を上らなければならない。それは「上がる」というよりも「登る」に近い負荷を足に強いるから、谷川岳の山行はもうここから始まっていると言っていい。
悠木和雅は爪先の収まりの悪さに登山靴を意識していた。
そうでなくても一気に階段を上がりきるのは難しかった。ペンキで書かれた「300段」の手前の踊り場で、たまらず一息入れた。十七年前と同じ思いにとらわれる。試され、篩に掛けられている。ここで息が上がるようなら「魔の山」の領域に足を踏み入れる資格はないということだ。十七年前は記者生活の不摂生が肩で息をさせたが、今回は五十七歳という年齢が脈拍数を何割か増加させているようだった。
衝立岩に登る。
胸の決意は今にも霧散してしまいそうだった。それでも安西耿一郎の輝く瞳が脳裏から消えてしまったわけではなかった。耳も忘れてはいない。生粋の「山屋」であった彼がぽろっと口にしたあの言葉を。
下りるために登るんさ—。
悠木は上を見つめ、階段の歩を進めた。
下りるために山に登る。その謎めいた言葉の意味をずっと考え続けてきた。一つの答えが胸にある。だが、その答えを確かめる相手がもはやこの世にいなかった。
地上には初秋の淡い光が満ちていた。午後二時を回ったところだ。頬を撫でる風は冷たかった。同じ群馬でも悠木が長く住んでいた高崎とは気温も空気の匂いも異なる。赤いとんがり屋根の駅舎を後にして国道291号線を北に向かって歩く。踏切を超え、雪除けのトンネルを抜けると芝地が右手に広がる。土合霊園地だ、
地元水上町が建立した「過去碑」には、谷川岳で遭難死した七百七十九人の名が刻まれている。「魔の山」の呼び名だけではその凄絶な歴史を説明しきれず、だから「墓標の山」「人喰い山」といった直截的な異名を併せ持つようになった。たかだか二千メートル級の連峰にありながら、地球上のどこを探してもこれほど死が身近な山は存在しない。一つには上越国境特有の気象変化の目まぐるしさが遭難多発の要因に挙げられる。しかし仮に、谷川岳が「一ノ倉沢」に代表される急峻な岩場を抱えていなかったとしたら日本中にその名を馳せることもなかった。未登岩壁の征服。熾烈な初登攀争い。往時、先鋭的な登山家たちは艱難と名声を求めて津波のごとくこの地に押し寄せた。地下駅ができるや、彼らはあの四百八十六段の階段を全力疾走で駆け上がったという。一分一秒を競って岩壁に取りつき、存分によじり、そして存分に墜ちた。谷川岳が危険な山であることが喧伝されればされるほど、血気盛んな若い登山家の心を高揚させ。それがまた過去碑の名を増やす結果へと繋がっていった。衝立岩は、そんな彼らをして「不可能の代名詞」「最終課題」と言わしめ、長い年月。未登の岩壁であり続けた。時はめぐり、登山用具とクライミングの技術の進歩によって十数本の登攀ルートが開拓されるに至ったが、それを成すために、さらなる多大な犠牲が払われたことは言うまでもない。「ワースト・オブ・ワースト」—最悪の中の最悪。それこそが衝立岩に与えられた最後の異名だった。
なあなあ、悠ちゃん、ドーンと思い切って衝立岩をやろうや—。
安西に連れられて衝立岩を下見した。彼の手ほどきで訓練も積んだ。十七年前のあの日、悠木と安西はザイルを組んで衝立岩に挑むはずだった。
だが、約束は果たせなかった。
その前夜、日航ジャンボ機が群馬県上野村山中の御巣鷹山に墜落したからだった。一瞬にして五百二十人の命が散った。悠木は地元紙「北関東新聞」の統括デスクとして、谷川岳ではない、もう一つの「墓標の山」と格闘することになった…”
【表紙及び冒頭5ページ】
【基本データ】
文春文庫
2006年6月10日 第1刷
横山秀夫「クライマーズ・ハイ」
ISBN4-16-765903-4
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