池波正太郎「男の作法」

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」1_[0]

【メモ】

・やっぱり食べ物であり、お出かけであり、というあたり、池波正太郎先生は究極の軟派男なのではないか、と思わさせられます。触れるテーマの軸がここら辺なので、読みやすいし面白い。

・こんな風に、自分が好きでいつもやっていることについて、自分なりの考えを持てるくらいにそれぞれをしっかりとやることができる、というのはとても素晴らしいことなのかな、と。

・麻雀のやり方一つ、天ぷらの食べ方一つ、何にしても、十分過ぎるくらいの経験があって、その上で、「こうするのが良い」と他人にいえるくらいに考えを持てていて、でもその内容たるや、めちゃめちゃ力が抜けていて。本を読んだ人がその意見に従おうが従うまいが、そんなことはきっとどうでも良いと思っていらしたのでは無いかと思います。

 

【本文書き出し】

”はじめに

この小冊は、私が五十余年の人生を通じて体験してきたことを、書肆の強い要望に応えて書いた・・・・・・というよりは、語りおろしたものです。

先ず、昨年の初夏に、編集者と、私の若い友人・佐藤隆介と共に九州・由布院の宿へこもって大半を語り終え、その後、佐藤君が筆記した原稿に手を入れ、さらに秋のフランス取材旅行で得た材料を加えて、この一冊が出来あがりました。

男というものが、そのように生きて行くかという問題は、結局、その人が生きている時代そのものと切っても切れないかかわりを持っています。この本の中で私が語っていることは、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。

とはいえ「他山の石」ということわざもあります。男をみがくという問題を考える上で、本書はささやかながら一つのきっかけぐらいにはなろうかと思います。

昭和五十六年三月     池波正太郎”

 

”文庫版の再刊について

三年前に出版された『男の作法』が、このほど新潮文庫へ入ることになった。何としても忸怩たるおもいがするのは『男の作法』というタイトルだ。私は、他人に作法を説けるような男ではない。しかし今度も、前に出したときのタイトルゆえ、変えないでくれとのことで、仕方もなく、そのままにしておくことにした。

どうか、年寄りの戯言とおもわれ、読んでいただきたい。そうすれば、この本は、さほど、おもしろくないこともない。

昭和五十九年秋      池波正太郎”

 

”鮨屋へ行ったときは

シャリだなんて言わないで

普通に

「ゴハン」と言えば

いいんですよ。

 

ちゃんとした鮨屋は”通”ぶる客を軽蔑する

 

(よく鮨屋で、飯のことをシャリと言ったり、生姜のことをガリと言ったりする客がいますが、やっぱりああいうほうが「通」なんでしょうか・・・・・・)

いや、客がそういうことばを使って通ぶるようなのを喜ぶような鮨屋だったら駄目だね。ちゃんとした鮨屋だったら、客がそんなことを言ったらかえって軽蔑されちゃう。

だからね、鮨屋に行ったときはシャリだなんて言わないで普通に「ゴハン」と言えばいいんですよ。トロぐらいは、いま、どこでもそう言うんでしょうから「中トロください」と言えばいいけれども、ぼくらの時分はトロのところなんかでも、

「少し脂のところを・・・・・・」

と、こういうふうに言ったものだよ。

飯のことをシャリとか、箸のことをオテモトとか、醤油のことをムラサキとか、あるいはお茶のことをアガリとか、そういうことを言われたら、昔の本当の鮨屋だったらいやな顔をしたものです。それは鮨屋仲間の隠語なんだからね。お客が使うことはない。

普通に、

「お茶をください」

と言えば、鮨屋のほうでちゃんとしてくれる。だけど、いま、みんなそういうことを言うね。鮨屋に限らず、万事にそういった知ったかぶりが多い…”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」表紙_[0] 新潮文庫 池波正太郎「男の作法」1_[0] 新潮文庫 池波正太郎「男の作法」2_[0]

新潮文庫 池波正太郎「男の作法」3_[0]新潮文庫 池波正太郎「男の作法」4_[0]新潮文庫 池波正太郎「男の作法」5_[0]

 

【基本データ】

新潮文庫

昭和五十九年十一月二十五日発行

池波正太郎「男の作法」

ISBN978-4-10-115622-4

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池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」

新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」表紙_[0]

【メモ】

・好きなことをやって、好きなものを食べる。特別に贅沢なことをするわけでも無ければ、特別に贅沢なものを食べるわけでもなく、ただ、そのときの状態に「最も適したもの」を、「ちょうど良い具合」に選択する。そういった風に振る舞えるのは、それだけの経験と知識があるからで、そういった姿が「カッコイイ」ということなのかな、と。

・お金も持っていたんだろうけれど、人生はお金ではなく、何が「一番良いか」を選ぶ目、知識、経験などが重要なのであって、それをわかっていること、そのように振る舞えることが「贅沢」ということなのかなと思う。

 

【本文書き出し】

”カンペールのクッキー

☓月☓日

半月ぶりに鍼の治療に行く。

扉を開けると、いつもきまって飼犬ラッキーの歓迎の啼き声がきこえるのに、きょうは屋内がしずまり返っている。二階の治療室へあがり、鍼医の矢口氏へ、

「ラッキー、入院でもしたのですか?」

「先週、亡くなりました。老衰でしたが、やはり、私も家内もさびしくなってしまって・・・・・・昨日が初七日でした」

ラッキーは、黒のミニチュア・プードルだった。

私の背中へ鍼を入れながら、

「犬や猫は、人の心を、人よりも早く読みとりますねえ。何につけ、人間のほうが、カンが鈍いですねえ」

そういう矢口氏の声が湿っていた。

このところ、寒、暖の反復がひどく、人も病んだが犬や猫も同様らしい。私の家にいる六匹の猫のうち、これも老猫のサムが、先日、死んだばかりだ。

夜になって、若い友人の佐藤君が来訪。

「これ、カンペールでつくっているクッキーなんですって。あそこは、クッキーで有名らしいんです。なつかしくなって、買って来ました」

と、クッキーの箱を出して、私にくれた。

三年前に、佐藤君とフランスの田舎をまわったとき、ブルターニュのカンペールの町の、オデ川沿いのカフェでシードル(リンゴ酒)をのんで、一休みしたことがある。

「ふうん。これ、東京で売っていたのかい」

「ですから、よほど質がいいんでしょう」

体裁にとらわれぬ、いかにもフランスの田舎の名産らしい無骨なクッキーだが、チーズとバターをたっぷりときかせた味は、なかなかのものだった。

 

☓月☓日

五日ぶりに銀座へ出て、京橋のワーナーの試写室で〔氷壁の女〕の試写を観る。いまや洗練の極みに達した老匠フレッド・ジンネマン監督の、ようやくに枯れた味わいがただよいはじめてきた秀作…”

 

【表紙及び冒頭5ページ】

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新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」3_[0]新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」4_[0]新潮文庫 池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」5_[0]

 

【基本データ】

新潮文庫

平成三年三月二五日発行

池波正太郎「池波正太郎の銀座日記〔全〕」

ISBN4-10-115659-X

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